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つみかさねた職人(しょくにん)の工夫(くふう) -上総掘り(かずさぼり)-

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月6日更新

地下にはたくさんの地下水があります。君津市や、そのまわりの市は、地下にある土の種類(しゅるい)やかたむきのせいで、地面(じめん)にほそい穴(あな)を深くあけていくと、そこからわき水のように水がふき出してくる不思議(ふしぎ)な場所(ばしょ)です。君津市には水のわきだす井戸(いど)が1300か所くらいあって、それは、上総掘りで掘られたものが多いのです。上総掘りを掘るときに使う、大きな足場(あしば)を、みなさんもどこかで見たことがあるでしょう。水車(すいしゃ)のようにまわる車がついた、かわった形をしています。

上総掘りは、君津市糠田(ぬかた)の池田徳蔵(いけだとくぞう)や俵田(たわらだ)の大村安之助(おおむらやすのすけ)など、今の君津市内に住んでいた井戸掘りの職人が、工夫をかさねてつくりあげた技術(ぎじゅつ)です。今からだいたい120年前の、明治時代(めいじじだい)中ごろに完成(かんせい)しました。

上総掘りのポイントの一つは、掘るときに竹ヒゴを使っていることです。竹ヒゴは、竹を1センチか2センチの幅(はば)にわって、長さを6メートルくらいに作り、それを何本もつないで、ロープのように使います。竹はあるていどの固さ(かたさ)があり、それがロープとはちがうところです。竹ヒゴの一番下には、土を掘りくずすノミをつけた、重い鉄の管(かん)がついています。地上から竹ヒゴを上げたり下げたりして、一番下のノミで掘っていくのです。上の図は、地上と地中のようすです。下の図は、竹ヒゴをにぎりやすいように、シュモクという道具をつけて井戸を掘っているところで、上にある弓(ゆみ)のようなものも、竹をしばって作ったもので、バネのように掘るのをたすけます。

地中にたまった掘りくずは、ときどき地上にひきあげてすてなければいけません。そのために、鉄の管をスイコという道具につけかえて地中におろし、掘りくずをその中にあつめて持ち上げます。このときに、水車のようなヒゴ車が登場(とうじょう)します。写真(しゃしん)のように、竹ヒゴをまきとったり、また地中に道具をさげるために、ヒゴ車に人が入ってうごかします。

君津のあたりの土なら、 2、3人の、人の力だけで1000メートルもの深さも掘ることができたようです。これまでにない少ない人数で、深く安全に井戸を掘る技術であったので、上総掘りはすぐに全国に広がり、水や石油(せきゆ)、温泉(おんせん)を掘ることにも使われました。

その後、機械(きかい)で井戸を掘るようになり、上総掘りは消えていきました。しかし、水不足(みずぶそく)になやむ外国に協力するために使われるようになったり、昔のすぐれた技術であることが注目(ちゅうもく)されたりして、上総掘りはまた見なおされるようになります。平成18年には、袖ケ浦市の博物館(はくぶつかん)にある「上総掘り技術伝承研究会(かずさぼりぎじゅつでんしょうけんきゅうかい)」という会の伝える技術が、国の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)になりました。

また、技術よりも前に、上総掘りに使う用具(ようぐ。道具のこと)も昭和35年に国の文化財になっています。この時に文化財になった用具は、君津市俵田(たわらだ)の内田傳重郎(うちだでんじゅうろう)のものでした。上総掘りの掘りかたが、だんだん完成していく様子がわかる用具で、大切な宝ものだといえます。

君津で生まれた上総掘りについて、もっと知りたい人は、『わたしたちの君津市』や、君津市が作った本『なるほど水と上総掘り』を読んでみてください。また、久留里城址資料館(くるりじょうししりょうかん)や、ちかくの博物館でも、上総掘りの道具などをかざって説明(せつめい)していますので、開いているときに、ぜひ見にきてください。

文:久留里城址資料館
図:田口翔太(たぐちしょうた)

図1.上総掘りで井戸を掘るときのしくみ
竹ヒゴに「シュモク」というにぎる部分をつけて掘っているところ。うえにあるのも竹で、バネのはたらきで掘るのをたすける。
上総掘りで井戸を掘る(君津市俵田-たわらだ)昭和の中ごろ