記念碑
この記念碑は、通話や緊急時の通報、役場や農協のお知らせなど住民にとって極めて重要なコミュニケーション手段となった有線放送を全国に先駆けて施設したことを記念して、昭和48年5月に上総公民館前に建立されたものです。
有線放送の始まりは、昭和19年に亀山村の鴇田満により防空監視所や一般家庭に配線して行なわれたラジオ共同聴取で、これに放送装置を取り付け、防空警報の伝達や戦時の通報として用いられました。
昭和24年には松丘村の沖津一により通話兼用に改良した有線電話が完成し、亀山村では、このインターホン方式による装置に改良されて一円に普及しました。昭和26年には松丘村、昭和28年には中村、小糸村、そして昭和31年には現在の君津市全域に有線放送設備が設置されました。
昭和46年には市制施行に伴い有線放送事業も市営で運営されていましたが、電電公社の一般電話の普及や人々の関心もラジオからテレビへと移ったことにより、徐々にその役割が低下しました。
電話業務は昭和55年7月で終了し、平成2年3月には「さよなら有線放送」を最後に上総での放送を終了、翌年3月に有線放送事業は廃止されました。
有線放送はなくなりましたが、戦後の混乱のなかで農山村における、通信や情報源、娯楽施設として、文化の向上に寄与した歴史的意義は小さくなく、地域と共に歩んだ有線の歴史は忘れてはならないものだと思います。