芭蕉句碑
俳諧の祖とも言われる松尾芭蕉に関する句碑は全国各地にありますが、本市にも芭蕉句碑と呼ばれるものが現存しています。
その一つが小糸の荻作(福岡から鹿野山山頂へ向かう県道を牧場方面に進んだ竹林の中)にあります。
残念ながら、芭蕉が生前に上総に足を踏み入れた記録がありませんので、句碑は芭蕉没後の文政から天保年間に、その門弟たちによって、追善供養と自らの俳諧の向上を願って建立されたものであると考えられています。
この句碑は、高さ約130cm、幅約67cm、厚さ約7cmで、表側には芭蕉の句「枯れ芝や満た陽炎の一二寸」と、その下には芭蕉の名前と「小糸連中」の名が刻まれています。裏側には「桂下坊」と「蝶二」の名前でそれぞれの句が刻まれています。
この小糸連中とは、句碑の裏側に刻まれている桂下坊と蝶二を中心とする小糸周辺の俳諧社中(同門)です。桂下坊は本名を石井八十八といい、小糸連中の最長老格で、嘉永二(1894)年に95歳で逝去し、蝶二は本名を中野衛門英影といい、安政四(1857)年に89歳で逝去しました。
時は流れ、時代が移り変わっていく中で、句碑はしだいに人目に触れることもなくなりましたが、今でも当時の姿を残したまま、ひっそりとたたずんでいます。