収蔵資料の紹介 日米親善人形「青い目の人形」
松丘小学校から、日米親善人形、通称「青い目の人形」が寄贈されました。
※松丘小学校は令和3年に統合し、147年の歴史を閉じました。
人形は保護のため普段は収蔵庫で保管し、折々に展示して参ります。
松丘小学校と人形 令和3年3月31日撮影
日米親善人形の経緯
通称「青い目の人形」と呼ばれた日米親善人形。その歴史は、日米の戦争の背景を伝える物語でもあります。
日露戦争後、日本は満州の権益をめぐってアメリカと対立するようになります。また当時のアメリカでは、低賃金で勤勉に働く日本人移民が、結果的に現地の雇用を奪い、土地や商売を拡大していった時期でもありました。ここに人種的な偏見も加わって日本人は排斥され、日本側からも反発がおこります。
日米の緊張を案じたアメリカ人宣教師のギューリックは、平和への理解を子どもの世代から育てようと、日本へ人形を贈る親善活動を行いました。これが「青い目の人形」で、仲介したのは渋沢栄一です。渋沢は国際理解と平和の民間交流を先駆けて実践した人物でもあり、ノーベル平和賞候補にもなりました。
人形は1927年(昭和2年)に、小学校や幼稚園へ贈られました(約1万3千体)。しかし願いも届かず、今から80年前の1941年、日米は戦争に突入し、全国の人形は敵性人形として焼かれ、捨てられました。 幸いにも、助けられた人形が340体ほど(千葉県に11体)確認されています。
松丘小学校の人形
市域では当時の松丘尋常小学校に人形が贈られ、5月5日に地域で盛大な歓迎会を開き、人形を迎えた記録があります。この記録から、千葉県がどのように人形を迎えたのかも、伺うことができます。
「松丘尋常高等小学校沿革誌 貮」
アメリカ人形ノ渡来
日米親善ノ目的ヲ徹底スルニハ児童ノ際ヨリソノ親ミヲ感ゼシメサルベカラズト為シ親日ノ米國ノ識者ハコレニ着眼シ人形ヲ作製シテ寄贈セラル。即チ本校ニアル、アンヌ・ノーブル・ラメルサンガール 使命ヲ帯ビテ来校シタルナリ。
本縣ニ於テハ四月下旬本縣下ノ小學校ニ配布スベキ人形ヲ先ズ女子師範学校ノ講堂ニ陳列シ縣下各方面ヨリ在来ノ我ガ國ノ人形ヲ募集シ共ニ歡迎會ノ誠意ヲ披瀝シ四月廿六日ニ分配ス。即チ學校長ハ千葉ニ出張シテ頂戴ス。頂キテヨリ學校ニ於テハ縣ヨリノ指揮ニヨリ在米ノシドニー・ギューリック先生ニ感謝状並ニ児童作製ノ綴方成績品ヲ贈ル。
五月五日本校ニ於テハ村内ヨリ人形及玩具ヲ出品セシメ歓迎会ヲ催シ会場の模様ヲ撮影シテアメリカニ贈リヌ
※女子師範学校は、現在の千葉大学教育学部の母体の一つ。
※人形は戦時中、講堂の戸棚に隠されて残ったと伝えられ、その後は校長室で大切に保管されてきた。
人形の特徴
頭から肩までが一体で、胴体を布でくるんだビスクドールです。手足は可動式で、横たえると瞼を閉じます。目の色は青緑色に見えます。
服はオフホワイトに緑の縁取りをしたワンピース(綿)です。赤い羽のついた茶色の帽子(ベルベット)をかぶり、靴下と黄土色の靴(革)を履いています。下着もしっかりと、ペチコートとドロワーズの上にシュミーズをつけています。
背中の印字「GENUINE "MADAM HENDREN DOLL" 216」から、アベリール社の展開する「マダムヘンドレン」シリーズの純正人形と分かります。印字された布の周囲には円形に錆が染み出していて、金属が埋められているようです。パンチングメタルのような感触なので、あるいは声の出るスピーカーかもしれません。