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1 名前のひみつ(前編)

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年10月1日更新

なぜ君津?

地名の始まりは?

 「君津(きみつ)」という名の歴史は、それほど古くはありません。明治11年、現在の木更津第一小学校に「君津小学校」と名付けたのが古例の一つです※1。地名としては1897年(明治30年)に「君津郡」が誕生し、ここで初めて「君津」が使われ始めたようです(君津郡は、ほぼ現君津地方4市の範囲)

君津郡役所 君津郡役所 『千葉県君津郡誌 下巻』 1927年(昭和2年) 千葉県君津郡教育会編

「君津」は略称?

 1891年、明治24年第2回帝国議会で、当地の郡名は「君津」と提案されました。その理由に、地域の名村である木更津が、昔は「君不去津(きみさらづ)」や「君去津(きみさらづ)」と称したので、「之ヲ刪略(さんりゃく)シテ郡名トス」と書かれています※2(刪略は字句を削り省く意味)。しかし略す理由と、よく聞くヤマトタケルとの関係には触れていません。公文書としてその2点を説明したものは見つかっていないのです。

君津は「趣味深き詩的な名」

 君津郡の歴史を後に記した『君津郡誌』には、 もう少し様子の分かる一文があります。そこでは「君津」の名を、「日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説の地名『君不去』を由来として『君津』と取った。」「趣味深い、詩的な郡名としたのである。」と伝えています。

『千葉縣君津郡誌上巻』 名称

「君津はキミツと訓(くん)す 日本武尊(やまとたける)東征(とうせい)の時海上颱風(たいふう)に遭(あ)ひ寵妃(ちょうひ)弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)を失ひ哀慕(あいぼ)已(や)む能(あた)はず海浜を彷徨(ほうこう)し淹留(えんりゅう)久しきに彌(わた)るも恋々(れんれん)去るに忍び給はざるの状(じょう)あり時人因(よ)りて其地を指して君(きみ)不去(さらず)と称せしといへる情緒(じょうちょ)纏綿(てんめん)たる伝説に因縁し明治二十九年三月望陀(もうだ)周准(すへ)及天羽(あまは)の三郡を廃し其区域を以て一郡を置き新に佳名(かめい)を撰(えら)むにあたり君(きみ)不去(さらず)を君津とし採りて以て趣味深き詩的郡名とはなせしなり」

1927年(昭和2年)発行

 

ヤマトタケルの物語とは?

 ヤマトタケルは古事記と日本書紀に景行(けいこう)天皇の皇子と記され、「伝説上の英雄」あるいは「多数の物語を一英雄に形象化したものか?」と説明される人物です※3。房総周辺の記述には、ヤマトタケルが東国の平定に向かい、船で走水(はしりみず/横須賀市沖)を渡る際に嵐に遭ったため、后※4のオトタチバナが入水して海神を鎮めたとあります。日本書紀では、船が上総(かずさ/千葉県中部の旧国名)へ着岸して一行は陸奥国へ進み、古事記では上総の足取りは記されず、2つの資料に木更津の記述は出てきません。

君不去伝説と 木更津という地名

 一方で、房総各地に独自の伝承があり、木更津ではタケル「君(ぎみ)」が上総に着岸し、后を偲んで「去らなかった」ため、その地を「君不去」と呼び、木更津の地名もそこから生まれたと伝えています。この説は、1674年の紀行文『甲寅(こういん)紀行』や江戸の地誌を記した1732年の『江戸砂子(えどすなご)』に取り上げられ、その後、実際に地名も「君去津」と記す例※5も見られるので、江戸時代にはその説が定着しているようです。

江戸砂子 『再校江戸砂子』1772年 君津市立中央図書館蔵「山中文庫」 『江戸砂子』1732年の改訂増補版。

木更津の地名は 諸説あり

 明治・大正期の歴史地理学者、吉田東伍(よしだとうご) は、地名としての「君不去」には証拠になる典籍がなく、語調も新しいと述べています※6。木更津の由来には他の説もあり、現在「君不去」説は有力ではありません※7、そこから取った「君津」も、命名時の認識は別として、その後の継承では、むしろ郡名の実績が重視されていきます※8。しかし地域では、江戸時代から伝え聞くこの物語を排除してはおらず、今も親しみをもって語られるのです※9

ヤマトタケル 

ヤマトタケル 草薙の剣 後藤忠明作1900(明治33年) 三社神社(木更津市八剱八幡神社境内)  敵の火攻めに剣で応戦して勝利する場面。古事記では、この時のヤマトタケルの気遣いをオトタチバナが時世の歌に詠んでいる。

 

注釈

※1 木更津市立木更津第一小学校『百年の歩み』 1973同編集委員会編、同校ホームページ

※2 明治24年11月28日、帝国議会の提出議案「三府三十県郡分合法案」に記載。法案は未決。簿冊「公文雑纂・明治二十四年・第三十六巻・未決議案・第二回帝国議会二」※国立公文書館デジタルアーカイブス<外部リンク>52コマ(高木澄子氏情報提供)

※3 『岩波日本史辞典』 1999、『日本史用語集(山川出版社)』2014など

※4 古事記では后、日本書紀では妾と妃の表記。

※5 長福寺(坂田)宝篋印塔1767の銘に「君去津南方町石工八郎右衛門」とあり。(稲木章宏氏のご教示による)

※6 『増補 大日本地名辞書 八巻』増補版第五版1980 吉田東伍著(初版発行1903)

※7 『図説 木更津のあゆみ』2012 木更津市史編集委員会編など

※8 第2章「合併のひみつ」参照

※9 『西上総の史話』1998 菱田忠義著ほか