広重が描いた鹿野山(平成18年2月号/2006)
歌川広重は寛政9年(1797年)に江戸に生まれ、代表作「東海道五拾三次」などの版画でその名が知られています。
そして少なくとも2度、鹿野山を訪れ、この地を題材とした3点※の作品を残しました。鹿野山を好んで取り上げた理由は何か?作品の中にヒントを探してみましょう。
写真は安政5年(1858年)刊行の作品です。鹿野山烏居崎から眺めた景色で、眼下に江戸湾、対岸に富士や箱根の山々が迫ります。大きな鳥居や、のどかに街道を行く人々が描かれ、まさに絶景です。
当時、鳥居崎や九十九谷からの景色、神野寺への参詣、奇習とされた「はしご獅子舞」などを目当てに、人々はこぞってこの地を訪れました。人の移動に船が活躍した時代、鹿野山は江戸からの手近な観光名所として好まれたのです。広重だけでなく、多くの文人墨客が作品の題材に選んでいます。
さて、話題の鳥居崎は鹿野山測地観測所から南西に約1キロメートル、富津市との境にあります。現在は鳥居もなく、鹿野山の由来を刻む石碑が一つ、ひっそりとたたずんでいます。往時の姿は、広重の作品に広がる景色から思い巡らせてみてください。
中央図書館で鹿野山や広重に関連した図書を見ることができます(※開館日注意)。
また、文化庁の運営するホームページ(文化遺産オンライン<外部リンク>)で、詳細な画像や、その他の広重の作品を見ることができます。
※大判・中判錦絵3点のほかに、うちわ絵「名山尽諸国拾景 上総鹿楚山」が確認されています。
文 :久留里城址資料館
写真:「冨士三十六景 上総鹿楚山」 木更津市郷土博物館金のすず蔵
※広重は「野」の異体字「埜」を「楚」と書いている