常代遺跡(とこしろいせき)でみつかった木の道具(どうぐ)「又鍬(またぐわ)」
田んぼで米作りをするようになったのはいつのことでしょうか?君津市の小学校6年生の教科書には、福岡県(ふくおかけん)の板付遺跡(いたづけいせき)で2300年前に行われていた米作りの様子や、米作りが西日本から東日本へひろがったことが書かれています。では、君津の米作りのはじまりはいつごろで、どんな様子だったのでしょうか。
常代保育園(とこしろほいくえん)やそのまわりの場所で、今から30年くらい前に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われたことがあります。地面の下の様子や、そこにうまっているものを、ほって調べたのです。 すると、2100年くらい前の弥生時代(やよいじだい)のお墓(はか)や、米作りに関係(かんけい)のある、いろいろな物が見つかりました。2100年前というのは、千葉県で見つかっている田んぼを使った米作りの証拠(しょうこ)の中では、古いほうになります。
常代遺跡では、田んぼのあとは見つからなかったのですが、稲(いね)の化石(かせき)や、田んぼに水を引くための堰(せき)と水路(すいろ)のあとが見つかっています。そして、小糸川(こいとがわ)にながれこむ小川(おがわ)のあとも見つかり、その中から、田んぼで使う道具など、いろいろな種類(しゅるい)の、5千点もの木の道具がでてきました。
小川のあとには地下水(ちかすい)もたまっていたので、普通(ふつう)に考えると、木はくさりやすいはずです。しかし、道具の全体が水につかっているとき、道具は空気(くうき)から、さえぎられています。木をくさらせる菌(きん)は空気の中の酸素(さんそ)がないと生きられないため、木の道具はくさらないで、2100年ものこっていたのです。 調査でわかったことは、大事(だいじ)な発見(はっけん)だとして、新聞(しんぶん)にも大きくとりあげられました。
さて、写真(しゃしん)は、又鍬(またぐわ)という道具です。アカガシという、かたい木で作られていました。もともとは、つめのような歯が6本ありましたが、右がわの2本がおれてなくなっています。又鍬は、今でいうと、春に田んぼをたがやしはじめるときなどに使う備中鍬(びっちゅうぐわ)という種類(しゅるい)の鍬によくにています。(君津では「まんのう」や「まんが」と呼ぶこともあります)。先がわれているので、かたい土にもささって、たがやしやすいのです。今は、木ではなく鉄(てつ)でつくられていますが、道具の形を見ると、2100年前も今も、あまり変わっていないことがわかります。
こうした木の道具は、2006年(平成18年)に、千葉県の指定文化財(していぶんかざい)になりました。千葉県の中でも大切なものだと、みとめられたのです。 木の道具は、久留里城址資料館(くるりじょうししりょうかん)にかざっていますので、資料館があいている日に見にきてください。また、千葉県の文化財(ぶんかざい)になっているので、千葉県ホームページ<外部リンク>でも、説明(せつめい)を見ることができます。
文 :久留里城址資料館(くるりじょうししりょうかん)
写真:常代遺跡出土の木製品「又鍬」(とこしろいせきしゅつどのもくせいひん「またぐわ」
(千葉県指定有形文化財/ちばけんしていゆうけいぶんかざい)