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小櫃学 大友皇子伝説の地を巡る を開催しました

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年1月16日更新

「小櫃学 大友皇子伝説の地を巡る」を開催しました

平成30年11月25日(日曜日)に小櫃学を開催しました。

第2回目の開催となる今回は、市内からの参加者も多く、また、木更津市や袖ヶ浦市など、近隣市からもご参加いただき、総勢50名の方に小櫃の魅力を味わっていただきました。

講義 大友皇子と壬申の乱 律令国家への道

講師写真講師が説明をしている様子講座の様子

 第一部は、木更津市史や千葉県史の編集にも関わっておられた河名勉さんを講師に迎え、「大友皇子と壬申の乱 律令国家への道」と題して、大友皇子の人柄の紹介や壬申の乱の概要などについて講義をしていただきました。

 大友皇子は、最古の漢詩集『懐風藻』の中で、「天性明悟、雅に博古を愛す。筆を下せば章を成し、言を出せば論を為す。時に議する者は其の洪学を嘆く。未だ幾ばくもなくして文藻日に新たし。」と書かれております。

 つまり、「博学かつ雄弁で非常に優秀な人物」であったようです。このように人徳もあった大友皇子は、若くして、天智天皇より太政大臣に任命されるなど要職を務めるようになりました。

 このような中で、天智天皇は自分の死期が近づいたことを知ると、「天皇の詔」を発しました。これは、それまで、天皇の位を兄弟相続していたものを直系相続(親から子へ)へ改めるもので、天智天皇が自らの後継者として、弟の大海人皇子ではなく、長子の大友皇子を指名したものです。

 この詔を受け、大海人天皇は、出家し一度は後継者争いから離れましたが、天智天皇の崩御を機に、自らが次期天皇となるため、挙兵しました。これが古代史最大の戦乱とされる壬申の乱のはじまりです。

 壬申の乱では、残念ながら大友皇子が敗れてしまいます。この壬申の乱に破れた皇子の伝説は、滋賀県大津市や愛知県岡崎市、神奈川県伊勢原市などにも残っていますが、その中でも、関連する史跡やエピソードが圧倒的に多いのが、小櫃を中心に語り継がれてきた「大友皇子伝説」です。

 

現地観察 大友皇子伝説の地を巡る

 第二部は、小櫃の元気なこどもを育てる会会長の安藤昭雄さんを案内人に、生涯学習バスに乗車し、大友皇子が祀られている白山神社(君津市俵田地区)と大友皇子の妃、耳面刀自媛(みみもとじひめ)と女官たちを祀っているとされる十二所神社(木更津市下郡地区)を巡りました。また、車内では、その他の由縁のある地名や史跡の紹介がされました。

【地名】
天神台、王谷、館の内、館の嶺、使者穴、御馬ヶ谷、壬申山、御腹川、天王原など

【史跡】
末吉神社:蘇我赤兄が祀られている。
笠塚:蘇我殿の田植えに由来する。
七人士の墓:天皇の臣七人が勇敢に戦い、果てたものの墓所といわれる。
菰捨橋:その昔、菰を身にまとい、貴い人を背負ってこの川を渡ったという伝説から名づけられている。

案内人の写真白山神社入口での説明白山神社境内での説明の様子