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小櫃学 小櫃の三大古墳を巡る を開催しました

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年11月8日更新

「小櫃学 小櫃の三大古墳を巡る」を開催しました

平成29年11月5日(日曜日)に小櫃学を開催しました。

地域の方のみならず、県内、県外からもお申し込みをいただき、総勢45名の方に参加していただきました。当日は快晴にも恵まれ、ぽかぽかした陽気の中で小櫃地区の豊かな自然と歴史にふれる大変有意義な一日となりました。

講義 上総の古墳時代

講師の小澤 洋 氏が講義している写真講義中の参加者の様子講義の様子の写真

午前中は、富津市文化財審議委員で『房総古墳文化の研究』の著書もある小澤洋さんを講師に迎え、「上総の古墳時代」と題して、出現期(3世紀)・前期(4世紀)・中期(5世紀)・後期(6世紀)・終末期(7世紀)における古墳時代の全国的な動きと、上総における古墳築造の伝播やその背景、中央政権との関わりや地域性について講義をしていただきました。

千葉県は、確認されている前方後円墳の数が日本一であり、古墳の数も全国屈指とのこと。

中でも、小櫃地区の三大古墳(白山神社古墳、浅間神社古墳、飯籠塚古墳)は、それぞれを結ぶと一辺が1.5キロメートルほどの大きな三角形を形成しますが、このような前期の、100メートル級の古墳が密接しているのは、全国的にも珍しいそうです。

小澤さんからは、三大古墳の存在は、その昔、小櫃の地にこれらの大形古墳を築造できるほどの力があったことの証左であること、三大古墳が地形をうまく利用して築造されていること、小櫃地区が古くは「馬来田国造」の支配下にあり、遥か昔から栄えていたことが推察できる、とのご説明がありました。

ほかにも、内裏塚古墳(富津市)や金鈴塚古墳(木更津市)、群馬県内の古墳の石室に使用されている石材の話から、古墳時代にも近隣・遠隔地問わず地域間の交流があったことが類推できるお話や、支配者たちの権力の象徴が古墳の築造からやがて寺院の建築に移行していったことなど、盛りだくさんの内容でお話ししていただきました。

小櫃学 展示 おびつの古墳時代

小櫃学展示の様子小櫃学展示を説明している様子土師器 甑と甕の写真

講義が終わり、昼食の時間になると、調理室の方から何とも美味しそうな匂いが。

地域の方のご好意で、豚汁やお漬物、飲み物、柿などが振る舞われ、参加者のみなさまには小櫃地区の「お・も・て・な・し」を堪能していただくことができました。

昼食後はロビーで展示中の「おびつの古墳時代」について、藤平副館長から説明がありました。

展示してあったのは、おもに戸崎古墳群と寺沢出戸遺跡からの出土遺物。なかには、戸崎53号噴の周溝から出土した、市内唯一の出土例である「子持勾玉」も展示されていました。当時は発掘調査担当者でもあった副館長から、その発見時のエピソードも紹介されました。

ほかにも、どのように住居や古墳の築造時期を判断するのか、という誰もが感じるであろう素朴な疑問に対して、それぞれ遺構から出土する土器が「ものさし」となっていること、そして長年の研究の積み重ねにより、土器には「編年」という概念がある、ということの説明がありました。

子持勾玉の写真須恵器の堤亀

現地観察 小櫃の三大古墳を巡る

午後からは生涯学習バス・かがやき号に乗車し、白山神社古墳、浅間神社古墳、飯籠塚古墳、戸崎古墳群(一部)の順に見学をしました。

実際に古墳に登って後円部と前方部の高さの違いを体感したり、古墳の成形が始まっているラインの観察や、見事なくびれ部の様子などを実見しました。

地域の方がこの日に合わせて清掃活動をしてくださり、美しい墳形を余すことなく堪能することができました。一方でつい先週の台風や大雨の被害等もあり、悪路を乗り越えていかなければならない箇所もあって、さながら冒険隊の隊列のようでした。

白山神社古墳(俵田地区)

白山神社古墳の入り口白山神社の鳥居をくぐるところ白山神社古墳

古墳に登る後円部から下る白山神社古墳の測量図

浅間神社古墳(上新田・箕輪地区)

浅間神社の石段を登るところ浅間神社で説明を受ける様子浅間神社古墳の測量図

飯籠塚古墳(岩出地区)

飯籠塚古墳の後円部を目指す飯籠塚古墳で説明を受ける様子飯塚古墳の測量図

戸崎古墳群(萬福寺周辺)

戸崎古墳群を巡る戸崎にある前方後円墳道の脇にある古墳に驚く参加者