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雨城楊枝

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年12月7日更新

雨城楊枝

 君津市久留里の伝統工芸、黒文字楊枝は、巧みな細工と品の良さからお茶席や日本料理店で利用され、またご家庭で「この楊枝で和菓子が食べたい」と言われる粋な道具として知られています。
 
 元々は江戸時代に武士の内職として始められたと伝えられ、楊枝の材料である黒文字というクスノキ科の香木の産地としても久留里産は特に品質が優れており、大正時代の文献によれば久留里楊枝の年間総生産高は2万円、現在の価格に直すと7千万円にも上る主要産業であったといいます。 

森 隆夫氏 

 森 隆夫さんは先代光慶の名を受け継ぎ2代目森光慶として千葉県指定伝統工芸品「雨城楊枝」に指定されています。森さんにお話を伺いました。

 森家が楊枝職人の家として確立したエピソードの一つに、 このような話がある。関東大震災直後、周囲の同業者は商品の代金を取りはぐれぬように動く中、森さんの曾祖父の啓蔵さんは見舞いの品を置いて復興のため尽力したことなどから問屋筋からの信用を得たという。
 
 楊枝職人の家として名実を得た森家であったが、現在まで2度、大きな淘汰の荒波を潜り抜けてきたと言う。1度目は房楊枝と呼ばれていた当時の木製の歯ブラシにとってかわりプラスチックの歯ブラシが出て来た時、2度目は大量生産のきく100円ショップで売っているような楊枝が出て来た時。祖父の安蔵さんは遊び人で鳴らした人だというが、帯止めの図案にヒントを得て考案した飾り楊枝が評判を呼び、機械生産品とは一線を隔した高級品としての道を切り開いたという。

 

楊枝つくり 

楊枝つくり1楊枝つくり2

 半月から1カ月程乾燥させた黒文字を型で寸法を測り鋸で切る。この黒文字の小片をコロという。
小割りナタでコロを縦に5、6片に割る(右)。 この時点でどの細工楊枝になるか既に決まっていると森さんは言う。木片の中に楊枝が削り出されるまで隠れているのだという

楊枝つくり3楊枝が出来てゆく

削り込みは上手くなるほど少ない手数で決まるようになるという(左)
熟練の手技で楊枝が削りだされていく(右)
楊枝は基本のザク、飾り楊枝の松、竹、梅、末広。また、うなぎ、太刀などの変わり楊枝がある。
右写真手前から竹、末広、梅、櫂

森 隆夫氏 
先代の製作技術と共に父光慶の名を受け継ぎ
平成19年には千葉県伝統工芸品
工芸制作者に指定される

 代々受け継いできた楊枝作りだが、森さんの直接の後継者はなく、代々受け継いできたこの技術を伝えたいと、講習会の指導をしている。講習会の参加者は30代から70代までと様々だが、皆、実に熱心にやっているという。森さんは「早く上手になってほしい。上手というのは、人に手に取ってもらえるもの、売り物になるものを作れるようになる事。細工楊枝にはそれぞれ特徴的な形がある。自分と同じもの、同じ形、特徴をつくる事にこだわって欲しい、1段2段と駆け上がって欲しい」と語る。

講習会の様子
久留里観光交流センターにて行われた講習会

 講習会場では削られた黒文字の独特の香気が集中力を高める。森さんいわく「うちが代々長命なのはこの香りを年中嗅いでいるから」という通り、香り善し、口に入れて善し、なるべくして楊枝になる木だと惚れ込んでいる、昔は里山のそこらじゅうに生えていたという黒文字だが、近年材料の調達に難儀するようになったという。黒文字楊枝には5年から6年の若木が適しており、一度根元から刈り取ると、そこから沢山の若芽が出て5年後には再び良い材料が採れると言うほど生命力の強い樹木なのだが、肝心の土地が開発などにより無くなってしまうという。黒文字楊枝の伝統は 後継者の育成と共に良質な材料を維持していく事も大きな課題だという。 

講習会の様子
森さんの技術を直に見て
楊枝つくりにのめり込んでいく。

森さんの父であり師匠である先代光慶さんは15歳の時に楊枝削りの道に入った叩き上げの職人で、婦人雑誌などでその飾り楊枝が紹介されると、多くの注文が舞い込むなど、職人冥利に尽きる時代もあり楊枝つくり一本の人生を送ったが、息子の隆夫さんは楊枝はこれ一本で食っていける商売じゃないと、金融機関に勤めるサラリーマン生活をしていたという。   

 最初は副業として小づかい稼ぎになればと言う気持ちで父光慶の元で楊枝削りを始めたという。 江戸時代の文献に「楊枝は上総地方で生産されたものが第一」とあるのを読み、久留里の職人の家に生まれた事にやる気がわき出て来たという。叩き上げの職人である父を間近に見て来て技術ではかなわないと悟り、美術館や博物館に足しげく通い美しいものを見る目を肥やすように努めて来たという。

武士の手内職であった楊枝つくりであるが、森さんも朝から雨のシトシト降る日は特にやる気が漲ると笑う。

工房 木更津市久津間317-3
問い合わせ電話 0438-41-3434 二代目森光慶(森隆夫)
HPリンク 日本伝統文化振興機構<外部リンク>