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ふるさとの彫刻家(ちょうこくか)「安西順一(あんざいじゅんいち)」

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月6日更新

 今回(こんかい)は、1908年(明治/めいじ41年)、君津市上新田(かみにった)に生まれた彫刻家の安西順一のお話です。

 彫刻家とは、石や木を彫って芸術的(げいじゅつてき)な作品をつくる人のことです。 安西が彫刻家になったきっかけの一つは、近所(きんじょ)にあった人形作りの工房(こうぼう/作品を作る場所のこと)です。この人形作りのことは、少しくわしくお話しておきましょう。

 今から100年くらい前に、「農民美術運動(のうみんびじゅつうんどう)」という活動(かつどう)がありました。それは、農家の人たちが農作業(のうさぎょう)の少ないきせつに、ちょっとしたものを手作りして、おみやげなどに売ったもので、活動は全国に広がりました。千葉県でも、久留里(くるり)ではじめて講習会(こうしゅうかい)をひらいて、生産組合(せいさんくみあい)というグループを作り、青葉高校(あおばこうこう)の近くに工房を作ったのです。そこでは、福(ふく)をもたらす「えびす様」や「大黒様(だいこくさま)」など、昔から人気のあった人形と、日本ではめずらしかった「ギニョール」を作りました。みなさんは、ギニョールを知っているでしょうか?頭と両手(りょうて)にゆびをいれてうごかす、ゆび人形のことです。

 安西順一は近所にあったこの工房に通うようになり、そのうちに、農民美術運動の本部のある長野県(ながのけん)にも行って、とくべつに勉強しました。 そのほかにも安西は、二人の先生に彫刻をならっているのです。一人は後藤忠明(ごとうちゅうめい)という人で、お宮(みや)やお寺(てら)の建物(たてもの)につける、昔ながらの彫刻を彫る人でした。もう一人は、関野聖雲(せきのせいうん)という彫刻家で、今の芸術大学(げいじゅつだいがく)の先生でもあり、新しい彫刻を教える人でした。

 安西はこのように、いろいろな彫刻をならい、彫刻家(ちょうこくか)になります。日展(にってん)という、日本を代表(だいひょう)する作品展(さくひんてん)には15回入選(にゅうせん)しました。

 さて、写真(しゃしん)は小櫃公民館(おびつこうみんかん)にある作品です。もともとの彫刻のかたちに、金属(きんぞく)をながしてつくったもので、ブロンズ像という種類(しゅるい)の像です。作品を見ると、ノミという道具のけずりあとを、わざとのこしていますが、それは安西の彫りかたの特徴(とくちょう)です。作品の題は「豊穣(ほうじょう)」で、米や麦などがゆたかにみのるという意味。手ぬぐいをかぶった女性(じょせい)が、むねをはって立つ力強いすがたから、秋の田んぼのみのりの様子が、目にうかんでくるようです。安西はこのように、はたらく農家の人々の彫刻を多く作っています。

 安西は田んぼの少ない千葉市へひっこしをしているのですが、安西が彫刻をはじめたことも、安西のつくった作品も、ふるさとと深いむすびつきがあるのです。

 千葉県でもゆうめいな彫刻家となった安西の作品は、県の美術館(びじゅつかん)にもしまってあり、県内(けんない)の公民館(こうみんかん)や学校(がっこう)など、いろいろなところにあります。君津市役所(しやくしょ)の入り口にもありますので、今度(こんど)いったら、見てみてください。

文 :久留里城址資料館 

写真:豊穣(安西順一作)小櫃公民館蔵/ほうじょう(あんざいじゅんいちさく)おびつこうみんかんぞう

豊穣(安西順一作)小櫃公民館蔵/ほうじょう(あんざいじゅんいちさく)おびつこうみんかん