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君津市漁業資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年1月27日更新

私たちのふるさと“君津の海”は、江戸時代の終わりごろ江戸(今の東京)でノリ商人をしていた近江屋甚兵衛が、たいへんな苦労と努力を続けた結果、千葉県で初めてノリづくりに成功し、上総ノリが生まれたところとなりました。

それ以来、ノリづくりを中心とした君津の漁業は、多くの人々の努力によって、長い間受けつがれてきましたが、昭和30年代の終わりごろから海はうめたてられ、君津は漁業から製鉄のまちへと大きく変わっていきました。

そして、ノリづくりや漁業に使われた道具は、少しずつ失われていきましたが、郷土の歴史や産業の様子を後の世に残そうという考えのもとに、漁業資料保存会の皆様が長い年月をかけて、たくさんの資料を集めてくださったのです。

この資料館は、ノリづくりを中心とした漁業資料を展示したもので、特に小・中学校の児童、生徒の皆様にご理解いただければ幸いに思います。

利用案内の表
 開館時間午前9時00分から午後4時30分
 休館日月曜日(祝・休日と重なる場合は、翌火曜日も休館)、国民の祝日、年末年始
 入館料無料
 会議室定員40名 事前にお申し込みください。
 ノリつけ体験原則10名以上の団体から体験できます。事前にお申し込みください。
 その他

 館内での写真撮影は原則としてお断りします。

調査・研究等で必要な場合は、窓口にご相談ください。

 交通 木更津駅西口より日東バス富津公園行 神門(ごうど)下車 徒歩1分

漁業資料館外観
〒299-1147  千葉県君津市人見1294-14  Tel:0439-55-8397

君津市漁業資料館 展示のご案内

ふるさとの海 今・昔

君津市の海岸地域はおよそ4kmにわたって遠浅な浜辺が続き、春から秋にかけては貝や魚がたくさんとれ、冬には一面にノリヒビがたてられていました。
昭和30年代の後半から海がうめたてられ、新日本製鉄(現:新日鐵住金)君津製鉄所の工場ができ、海の様子は大きく変わりました。ここでは、地形模型とカラー写真によって、昔と今の海の変化の様子を紹介しています。

ノリと私たちの生活

 ノリの栄養

ノリは私たちの生活にとってたいへん身近な食品であり、おにぎり、おすしをはじめ、いろいろな形で、私たちを楽しませてくれます。また、ノリにはたくさんの栄養があり、血液の中のコレステロールを低くするはたらきもあります。

ノリ成長のしくみ-ノリを科学する

ノリは、春から夏にかけてカキの貝ガラの中で糸状態(しじょうたい)と呼ばれる菌の姿で過ごし、秋になると、タネが海中に流れ出し、ノリになります。
このようなしくみは、長い間ナゾとされてきましたが、昭和24年(1949)にイギリスの学者キャサリン・ドリューの研究によってはっきりわかってきました。

上総ノリと近江屋甚兵衛

私たちの住んでいるところは、昔は「上総の国」といわれていたことから、君津の海でとれたノリは上総ノリと呼ばれ、人見から坂田、大和田、さらには富津、木更津、市原方面へと広がっていきました。
このコーナーでは、千葉県で初めてノリづくりに成功した近江屋甚兵衛にスポットをあて、上総ノリが誕生するまでのいろいろな苦労の様子を紹介しています。

ノリづくりにかけた情熱

近江屋甚兵衛は、1766年(明和3年)江戸の四ッ谷に生まれノリ商人をしていたと伝えられています。
満55歳のとき、自らノリづくりを行う決心をかため、浦安、五井、そして木更津を訪れ、海にノリヒビをたてさせてもらうことをお願いしたのですが、すべてことわられてしまいました。

人見村の甚兵衛

甚兵衛は、俳句の先生の紹介で、長須賀村の名主健左衛門に会わせてもらいました。
健左衛門は、甚兵衛の願いを何とか実現させてやりたいと思い、人見村、大堀村の名主と親しい人たちを紹介してくれました。

上総ノリの誕生

人見村の名主八郎衛門の協力によって、甚兵衛の夢であったヒビたてが実現することになりました。
一度は失敗しましたが、1822年(文政5年)の冬には、ヒビに黒々としたノリがつき「上総ノリ」が誕生したのです。

甚兵衛をしのぶ

千葉県のノリづくりにたいへん大きな手がらを残した甚兵衛は、多くの村人に惜しまれながら、1844年(天保15年)9月12日、数え年79歳でなくなりました。
明治43年、人見の心ある人たちによって、お墓は薬師堂墓地から現在の青蓮寺(しょうれんじ)に移されました。

ノリづくりと技術の発達

甚兵衛が行ったノリづくりの方法は、その後、多くの人々の研究や努力によって、いろいろと技術が改良されてきました。
このコーナーでは、主として昭和20年代から30年代にかけてのノリづくりの様子をジオラマ(模型)と資料によって展示し、あわせて技術や道具の発達について紹介しています。

ノリヒビづくりからヒビのたてこみ

ノリヒビは、ノリをつけ育てるためのもので、昔は枝の多い木や竹が使われていましたが、昭和に入ると網が考えだされました。
ヒビたては、9月始めごろの引き潮のときに行われ、フリボウやスイコ、ガータと呼ばれる道具で海底に穴をあけました。

ノリとりからノリ切り

網についたノリは、40日ぐらいで芽をだし、葉のようになって育ちます。ノリとりは、ノリがもっと大きくなる11月から次の年の3月ごろまでに行います。
海からとってきたノリは、ごみなどを取ったあと、ヒコーキボウチョウ、ツキボウチョウなどを使って細かくきざみました。

ノリつけからノリの乾燥

ノリつけは、ノリずの上にわくをおき、その中に水でといたノリを流し込み、1枚のノリにする作業です。
ノリずにつけたノリは、台簀乾(だいずぼ)しあるいは、障子乾(しょうずぼ)しと呼ばれる方法でかわかしました。

ノリの販売とかたづけ

乾いたノリは、10枚ずつたたんでノリ箱に入れ、出荷します。
販売の方法は、ノリをつくった人が直接問屋と取り引きする「庭先販売」がほとんどでしたが、一部の地域では組合をつくり「共同販売」を行っていました。
ノリづくりがすべて終わると、網やクイのかたづけを行い、次の年にそなえました。

ノリづくりの技術改良

明治時代の初めごろ、大堀村(今の富津市)の平野武治郎(ぶじろう)は、ノリヒビを移し変えることによって、ノリがたくさんとれる方法を開発しました。
また、昭和24年(1949年)にはイギリスの科学者ドリューによって「カキ殻糸状体(からしじょうたい)」が発見され毎年安定した種付ができるようになりました。

海の幸を求めて

君津の漁業

君津の沖には、たいへん豊かな漁場があり、網、針、あるいは「もり」などを使う漁がさかんに行われていました。
昭和36年に君津漁業協同組合が、また昭和40年5月には坂田漁業協同組合が漁業をやめることになり、君津漁業は長い歴史を閉じることになりました。

漁法のいろいろ

君津で行われていたおもな漁法には、舟で網を引く手ぐり漁、針をつけた糸を海底におろして魚をとる延縄漁(はえなわりょう)、あるいは舟の上から魚をつり上げる一本釣りなどがありました。