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漁業権放棄記念碑(人見(ひとみ)・坂田)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年5月2日更新

記念碑(人見)

記念碑(人見)

記念碑(坂田)

記念碑(坂田)

漁業権放棄により、臨海工業地帯の造成による新たな君津市ができたことを記し建立された記念碑です。漁業権放棄が新生「君津市」の発展の基礎となった歴史の再認識をすることができます。

漁業権放棄記念碑は、人見の青蓮寺にある君津漁業協同組合の解散記念碑と、国道16号線沿いの坂田橋付近にある坂田漁業協同組合の解散記念碑を総称したものです。

かつて市の北西部は、東京湾に面して遠浅な浜辺が続き、春から秋にかけては貝や魚がたくさん獲れ、冬には一面にノリヒビ(ノリをつけ育てる網)が立てられていました。

文政年間(江戸時代後期)に近江屋甚兵衛(おうみやじんべえ)が苦心の試作のうえ小糸川尻で海苔の養殖に成功し、「上総ノリ」の産地として栄えてきました。

しかし、昭和30年代に入ると日本経済は高度経済成長に突入し、大規模な臨海工業地帯や石油コンビナートの建設が全国的に推進されていました。当時の君津町は人口約1万3千人、世帯数約2千5百戸の農漁業を中心とする小さな町でした。

そこに八幡製鐵所(現在の日本製鉄株式会社東日本製鉄所)の進出の話が持ち上がり、漁業の存続か否かを巡って漁民達は大きく揺れました。

その結果、君津漁業協同組合と坂田漁業協同組合の人々は、郷土の新たな発展と子々孫々にいたるまでの繁栄を願い、漁業権放棄を決断し、その経緯と歴史を後世に伝えるため、解散記念碑を建てました。

こうして、漁業権の放棄により君津は漁業から製鉄のまちへと大きく変貌することとなりました。