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秋元(あきもと)城跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年2月1日更新

秋元城絵図

秋元城絵図

秋元城跡は、鹿野山から東側へ下る清和市場字根古屋(ねごや)から市宿字古城(こじょう)にかけて位置し、東西550メートル、南北400メートルに渡る戦国時代の山城で、小糸城あるいは青鬼(せいき)城とも呼ばれていました。

 房総で勢力争いをしていた里見義豊が、永正年間に臣下の秋元兵部少輔義正に命じて城を築かせたものといわれています。しかし、義正の子、義久の時代の永禄7年(1564年)に北条軍によって攻められ、義久の死とともに落城したと伝えられています。

 この城は、近世の城から連想される「天守閣のあるお城」とは異なりますが、城跡を歩いてみると、自然地形を削って平らにした曲輪や、曲輪の縁辺に設けられた土手状の土塁、尾根筋を遮断した堀切などの跡がうかがえ、戦国時代の山城の姿を想像させてくれます。

 平成13年6月から7月にかけて城跡の一部の学術発掘調査が行われ、主郭部を中心に、防備のための平場をつくるために、大規模な造成が行われていた痕跡が確認されました。

 また、城内で使用された土師質土器、中国産や国産の陶磁器、銭貨などの遺物が出土するなど、いままでの秋元城に関する伝承が裏付けられました。