新関谷池
大関谷池
池の周辺は木々が茂り四季を通じて美しい景観を見せてくれます。
新関谷池は戦国時代、大関谷池は平安年間に原形が造られたと伝えられ、他のいくつかの堰とともに「坂田の七つ堰」の代表的な堰でもありました。
大正12年9月の関東大震災でその地盤に欠陥が生じたため、坂田の農民達(坂田耕地組合)は、昭和5年に県の補助金を受けて堰堤の大改修を行い、以来、坂田地域の貴重なかんがい用の水源として多くの水田を潤してきました。
大正末期には堰に放たれたウシガエル見物で賑わい、又坂田漁業組合によるワカサギ養殖の時代もありました。
新関谷池の底からは良質な湧き水が出ているらしく、生物の種類も豊富で、シジミや沢ガニの他珍しいチョウトンボなどが生息し、危急種であるガガブタという水草もみられます。
また、カワセミやカイツブリをはじめ、秋に飛来したカモが羽を休める姿も見られます。
坂田の土地区画整理事業が伸展した昭和40年代半ば以降は水田が無くなったため、かんがい用水としての役割を終えました。
やがて君津台団地が造成され多くの人々が居住すると、住宅地の中のオアシス、憩いの場として多くの人々に親しまれるようになりました。